解説付き週刊連載「身体構造力〜日本人のからだと思考の関係論〜」➓ 第1章「身体と構造の力」の8 「めまいは構造からおきる」
2025/10/21
不思議な頚椎
小学生の私がその本で最初に学んだこと。人間の骨格で一番重要なこと、そして特徴とは「背骨」だということです。こう言うと脊椎動物なんていくらでもいるではないかという話になりますが、問題はそれが基本的に「直立」しているということです。これは数多ある脊椎動物の中でも人間だけなのです。その背骨の中で首の骨、いわゆる「頚椎」というものは他の背骨とは違う特徴を持っていることに気づきました。その特徴とは〝頚椎だけ横突起に穴が開いている〟というものですが、それについて詳しく述べる前に、背骨を構成する椎骨について、大まかに説明しておくことにします。
椎骨の特性
椎骨の形状は第4胸椎がスタンダードです。大きさや微妙な形状の違いは、その場所の特性に合わせて様々ですが、そんなには変わりません。子供の頃に友達に説明するのには、サザエさんの顔を正面から見た時を思い浮かべてもらっていました。彼女の髪型は子供心に不思議で、その全容はなかなか奥深いものです。今思えば笑ってしまいますが、子供なりに椎骨の構造を老若男女に分かりやすく伝える方法を考えたのでしょう。椎骨は上に伸びる棘きょく 突起、左右に伸びる横突起、椎体の4部位に分けることができます。棘突起は体表から触ることができますし、見ることができますが、その他の部位は見ることも触ることもできません。それぞれの位置関係ですが、ここでサザエさんの登場です。彼女の髪型の立体像の謎は置いておきまして、あくまで正面から見た顔を思い浮かべてください。彼女の丸い顔の部分が椎体です。そして、頭の3つのモコモコ。頭のてっぺんが棘突起、左右が横突起です。彼女の額は全面穴が開いていて、脊髄を通します。これを椎孔といいます。その空洞が連なることで脊柱管になるわけです。腰椎の場合、少々突起類が増えて呼び名が変わります。肋骨が退化したものと思われる肋骨突起だとか、上関節突起、副突起などになります。ちなみに腰椎はこの突起類によって回旋運動ができないようにロッキングされています。「腰をひねる」と俗にいいますが、実際には腰椎自体はひねることのできない構造となっているのです。脊柱の回旋運動は「胸椎の回旋」にこそ骨格的に重要な役割があります。長年の腰痛持ちで、最近は随分と緩和したもののひねりの動きの痛みだけがずっと残っていると悩む患者さんの場合、胸椎の可動性に問題があることが多いのです。手始めに胸椎と肩甲骨を矯正すると、すぐに治ってしまって驚かれることがあります。もちろん「神の手」でもなんでもなく、それにはこういった構造上の理由があるわけです。
頚椎にみる自然の合理性
頚椎の話に戻りますが、頚椎の他の椎骨にはない構造である「横突孔」の存在を知ることで、私はますます骨格への興味を深めることになりました。やはり「自分の『めまい』は頚椎と関係があるのだ」と直感したのです。7つある頚椎の横突起の左右に開いている横突孔はなぜあるのか。それは椎骨動脈という血管を通すためです。これは左右の鎖骨下動脈から分岐して左右の横突孔の中を通り、最終的には後頭骨に開いている大後頭孔から中に入った後に左右合流して脳底動脈となるもので、脳を栄養する上で非常に重要な動脈です。この構造を知った時、奇妙なほどに感動したのを覚えています。今思えば、重要なものであるからこそ、わざわざ骨の中を通すという繊細で複雑な構造にして守るという骨格の合理性。そして、その事実を通じて、それが自然の業で為されているという〝自然というものの合理性〟を感じたのではないかと思います。キリスト教文化の中で育った子供ならば、そこに「神の手わざ」を感じたりして、本格的信仰へのきっかけとなるのかもしれませんが、日本の子供である私はむしろ人間と自然との一体感を感じたのでした。山ができたのも、川ができたのも、そこには合理的な理由があります。ただ、そこから「地球は一個の生命体なのだ」といった〝ガイアシンフォニー〟のようなキラキラした壮大な夢想をしたわけではなく、単に〝自然とこうなった〟というところに素朴に感心したわけです。大事な管を丈夫な素材で守っている、「結局、人間は自然の真似をしているんだ」と。ちょうどその頃、お年玉でラジカセを買ったのですが、その際、モノラルとステレオのどちらを選択するかとても悩みました。結局のところ「姉に薦められたから」という単純な理由で、何が良いのかを理解することもなく、少々値が張るステレオラジカセを選択したのです。当時、電化製品は、父のサラリーマン時代の同僚で、その後、独立して電気店を営んでいた方から購入していましたので、何かを購入すると、自ら製品を届けてくれて説明をしてくれました。私の「何でステレオが良いの」という問いへの彼の答えは「人間の耳が2つあるからだ」という、てもシンプルなものでした。このコンデンサーがどうの、出力がどうのといった、機械の仕組みやセールスポイントなどを聞かされるものと思っていたので、少々意外な感じがしましたが、不思議なもので、むしろその回答のシンプルさゆえに、しみじみと心に響いたのでした。その時も同じように「結局、人間は自然の真似をしているんだ」と思ったものです。その後、ステレオスピーカーから流れるFM放送を聞いて、感動とともに人間の耳が2つある理由を実感したのでした。人間が自然に勝てるわけがない、そもそも人間は自然の産物なのです。山の裾野を縫うように川が流れている、そんな風景が自然なように、人間の身体の中でも血液が骨の隙間を縫うように流れています。川を堰き止めてダムを作ったりするような、変な作為を加えない限り、自然は合理的な形になるのです。
めまいは構造から起きる
椎骨動脈は6個の頚椎の穴を貫いているわけですが、頚椎は屈曲運動や回旋運動の可動範囲がとても大きい。骨に守られているのはいいですが、当然、屈曲したり、ねじれたりする際は血管も一緒に曲がったり、ねじれたりします。ホースの水と同じで、一定の量の血液を脳に送るには、まっすぐな時よりも、曲がっている時の方がより強い圧力が必要になるわけです。そもそも、頭部が身体の最上部にある人間の脳への血流は、山頂に向けて川を逆流させるようなものです。ただでさえ圧力が必要なのに、それが曲がったり、ねじれている。実際、人間は頚動脈にある頚動脈洞などの圧受容器からの情報を得て、自律神経系を駆使して血圧を常に調整しています。この点でいえば頚椎の歪みは、自律神経および血圧に直接的な影響を常に及ぼしているわけです。頚椎の歪みが慢性化すると、脳の血液が足りなくなるのではないかと私は考えたのでした。母の月経時の「貧血」「めまい」と考え併せて、私の「めまい」は頚の骨が歪んでしまって「貧血」が起きているせいだと思ったのです。そして、頚椎の歪みが慢性化すると、普通の人、私のように歪んでいない人より脳の血液が足りなくなるのではないかと考えたのです。椎骨動脈は脳の視床下部から下の部分、「橋」や「延髄」などを栄養するとともに、人の平衡感覚を司る「前庭・内耳」にも血液を流している動脈だったというのも、私にそう思わせたのでしょう。治療家として知識と経験を積んだ現在の視点から見ると、血流の問題だけではなく、顎関節の運動の支点である頚椎の不安定さや、脳脊髄液の循環にまつわる環椎後頭関節の機構の問題などが絡み合っているので、「貧血」という1つの要因に特定するのは少々違いますが、私が子供心にも誤っていなかったのは、自分の「めまい」が〝構造的な要因で起きるもの〟だと思ったことです。現代の私たちは「めまい」と聞くと前庭や内耳の神経的な問題であったり、三半規管の器質的な変化ばかりを考えたがる癖があります。確かに、メニエール病や神経の腫瘍など、そういった場合もあるわけですが、6〜7割の方の「めまい」は、骨格構造からくるものです。それはとりわけ慢性的な頚椎の構造的な狂いから起こるものなのです。
大阪大学の津田守氏の博士論文「めまい患者における椎骨動脈血流動態およびその修飾因子について」では、原因不明とされた末梢性のめまいの患者には、椎骨動脈の血流の病的な左右差が普通の健康な人よりも多くの割合で認められ、症状の改善とともに、その左右差も是正されるという研究結果が報告されています。実はこの論文では椎骨動脈とともに総頚動脈についても血流を測定していますが、総頚動脈については有意差が認められませんでした。やはり、椎骨の横突孔の中を縫うように走行している椎骨動脈の血流は骨格構造の歪みと強く関連しているのです。
「良性発作性頭位めまい症」などは遊離した耳石が半規管に入り込んでしまったという器質的なものともいえますが、耳石の遊離はともかく、それが半規管に入り込むという現象がそもそも骨格の構造の歪みからくるものです。日本の耳鼻咽喉科医療の現状に対して問題提起をし続けている高橋正絃医師も「良性発作性頭位めまい症」は、長時間のデスクワークや運動不足、その他の理由による不良姿勢が原因の「生活習慣病」であると述べています。まず、日常的な行動の見直し、それによる骨格構造の不良を改善することが一番重要なことなのです。
私は、自分で「構造変更」いや「構造の最適化」ができないだろうかと考えました。もちろん子供なのでこんな堅苦しい言葉で考えたわけではなくて「歪みを取らないといけない」という感じで思っていたのですが、ただ、それは「自分でやらなければならない」と思っていました。父や母に頼りたくなかったのは、自分でできなければ意味がないと思ったからです。学校や外出先などで自分で対処できなければ安心ができないだろうと思ったのです。まずは自分の頚椎の触診から始めました。肩こりなどはありませんでしたから、筋肉も柔らかいもので、特段の問題もありません。頚の付け根の天柱や風池も触ってみましたが、取り立てて痛くも硬くもないのです。試しに強く押してみたところ、逆にめまいが起きてくるような感じがしました。次は視診です。鏡に映った自分の姿を見ようとしましたが、横からの姿は自分では確認できません。当たり前ですが、映った自分の横顔を見ようとしても、見る際に顔が正面を向いてしまうからです。2回くらい繰り返し、そのことに気づいて誰が見ているでもないのに、恥ずかしそうにニヤニヤとしている鏡に映った自分の顔をなぜか今でも鮮明に覚えています。そこで自分の写真で確認することにしました。少林寺拳法の道着姿の写真を2〜3枚見て、すぐに気いたのですが、どの写真も顎が少し前に出ているのです。ただし「猫背」であるとか「腰が丸まっている」とか、そういう他の部分の姿勢に違和感はありません。しかし、顎だけが少し前に出ているのです。そういえば、道着の襟の後ろが大きく開いて「芸者さんみたいだよ」と注意されるのがいつも気になっていましたが、そのせいもあったのでしょう。顎が前に出る姿勢をすると、後頭骨と第1頚椎との間の環椎後頭関節の間が狭くなります。関節の間が慢性的に狭くなると、その間に張られた筋肉は拘縮を起こしやすくなります。筋肉は伸びたり縮んだりをすることで血液の出し入れを行っているのですが、それが不全になってしまうのです。私は普段の姿勢として、なるべく顎を引いて、その部分を伸ばすようにしてみました。そして、次に「めまい」に襲われた時にいろいろ試してみようと考えました。悲しいことに、その機会はすぐに訪れることになりました。少々、姿勢に気をつけるだけではすぐに身体が整うわけもないのです。仙台の初秋の特徴は昼夜の寒暖差です。とりわけ未明から早朝の冷え込みは辛く、肩口から首筋の冷えからくる「寝違え」に悩む患者さんが意外に増える季節でもあります。朝、目覚めて立ち上がると、頭に靄 もやがかかったような感じがしました。その時点で不安感が心に広がります。慌てて、しかし静かに、ベッドに腰掛け、少し休んで立ち上がります。歩き始めると、フワンと足が沈み込むような、いつもの通りの実に気持ちの悪い感覚に襲われます。私はゆっくりと息を吐いて気持ちを落ち着けると、首の付け根を探りました。環椎後頭関節の部分です。経穴でいうと天柱、風池、完骨といった部分です。やはり思った通りです。指で押してみるととても硬くなっています。そして、痛い。頭蓋骨の継ぎ目全体に響くようです。耐えられなくなりすぐに指を離してしまいました。正直、全然気持ち良くないのです。むしろ、「めまい」が増悪しそうな不安が広がります。そこで私は考えました。この関節の隙間が無くなっているのが問題なのだから、押しこむだけでは広がらない、少し隙間を開けるようにしなければいけない。顎を引いて首の後ろを伸ばしてみます。頭を抱えるようにしてグーッと伸ばしてから離してみると、頭が後ろに持っていかれるような感覚とともに頭が軽くなったような気がしましたが、すぐにとても気持ちが悪くなりました。軽い吐き気、そして、めまいが襲ってきます。血圧が下がりすぎたのか、首の後ろの部分から血の気が引いたような感覚に襲われました。ここで分かったことは、頭を抱えて伸ばすといった大雑把なやり方では、距離の長い大きな筋肉だけが伸びてしまい、私が伸ばしたいと思っている小さい筋肉は全然伸びないということです。考えてみれば当たり前の話ですが、身体の中心に近い筋肉というのは、自力では伸ばしにくいのです。文房具のコンパスを思い浮かべてください。中心の芯に近づけば近づくほど動く量が減る=円が小さくなります。ある程度まで進んでしまった身体の中心部の細かい筋肉の拘縮を除くには、骨格の構造を考えて、ポイントを定めて行う必要があります。私はもう一度、後頭骨と環椎の間の関節を広げようと試みました。ただし、今度はもっと緻密に丁寧に、ゆっくりとです。起きている状態では、どうしても首や背中の筋肉に力が入ってしまいます。私はベッドに寝転ぶことにしました。仰向けに寝転んで、風池の部分に両手の親指をあてがいます。あまり力を入れずに、刺激は頭の重みだけです。最初は痛みを感じましたが、徐々に薄れてきます。しばらくそのままでいると、スッと首の力が抜け、ぼんやりと眠くなるような感覚になりました。背中の緊張もとれています。起きているような眠っているような時間が5〜10分くらい続いたでしょうか。恐る恐る立ち上がってみると、まず不安な気持ちが無くなっていることに気づきました。めまいが起きるかどうかを確認する前に、朝はいつも沈んでいたはずの気分が浮き立っているのです。「これは大丈夫なんじゃないか」と靄が晴れた頭で考えて歩き出しました。普通に歩けます。階段を駆け下りても大丈夫です。正直、その時の感情は嬉しいというよりもほっとしたといった方がいいもので、心には大きな安心感がありました。自分の身体を自分でコントロールできる可能性を感じて、芯から安堵したのです。この日から、少しでもめまいの気配を感じて不安な気持ちになると、自分で整体をして落ち着かせることができるようになりました。姿勢にも気をつけるようになり、大きな音や響く音、揺れるものを見ても動じなくなっていきました。日々、明らかになっていったのは考え方、思考そのものの変化です。その後、小学校では演劇クラブに入り、中学でも演劇を続けました。アマチュア無線の免許を取り、さらにモールスの免許も加え、受信機のスピーカーから出るノイズを一日中浴びながら、世界中の無線家達と交信していました。かつての私には揺れるノイズ音や甲高いモールス信号の音を聞き続けるなど到底考えられませんでした。高校に入ると友人とバンドを組んでドラムを叩き始めました。その後、大学の演劇科に進学し、劇団を組んだ私の旗揚げ公演を観劇しに母が上京したのですが、ピアノの筐体に響く足音や人の声だけでも気分が悪くなっていた私の変貌ぶりに「あなたがこうなるなんてねぇ」と安堵したような、でも不思議そうに、そして感慨深げに私を見ていた母の顔は思い出深いものです。
この少年の日々に得た身体の構造と思考との結びつきに対する確信は、私の中にずっと残っています。
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