解説付き週刊連載「身体構造力〜日本人のからだと思考の関係論〜」12 第1章「身体と構造の力」の10 「理想的な骨格のためになすべき事」
2025/11/04
理想的な骨格を維持するためになすべきこと
現代の私たちは圧倒的に運動量が足りません。これは誰に言われずとも、お感じのことであると思います。先にも述べたように、脳のニューロンの発達や再生には運動が深く関わっています。運動によって血流量の増大が見られると大量のニューロンが新生されることが分かっています。最大の心拍数を維持している状態では、前頭葉への血流が抑えられることから、脳ストレスの解放にも繋がります。この場合の運動は、とにかく〝心拍数を上げて血流を増やしていく〟ということですが、理想的な骨格を保つという意味ではあまり意味がない場合もあります。身体を正しく使っていなければ、運動後でも余計な筋肉の緊張が残存し、筋紡錘を通じて筋肉の緊張状態の情報が脳に送られ続けることになってしまうのです。その結果、抗ストレスホルモンであるコルチゾールが脳に供給され続けることになります。コルチゾールは危機管理用のホルモンなので身体に脂肪を蓄えるのを促す役割もしています。その過剰な分泌によって腹部に脂肪が溜まる〝中心性の肥満〟を招くという皮肉な結果になる場合もあります。
内側重心から全てが始まる
正しい骨格を維持するためにまず行うべきことは、重心を内側にするということです。これは歩行時にはもちろん、普通に立っている時も、しゃがんでいる時も、座位でいる時も意識して行うことが求められます。股関節の頚体角を活かす日常動作を獲得することが、最初の大きな課題です。「内側に重心をおきなさい」と言うと、親指に力を入れたり、花魁の内股歩きみたいになる方がいますが、そういうことではありません。少し感覚が掴みづらいかもしれませんが、簡単にその感覚を知る方法を御紹介しましょう。
足を肩幅に開いてください。その際、大抵の方は逆ハの字に足が開くと思いますが、足の親指は平行にします。その状態で両膝をつけます。O脚の人はそのままではつかないと思いますので、その際は少し膝を曲げます。その状態の足の裏の感覚が内側に重心が載っている状態です。外側重心がひどい人はかなり内側に引っ張られるような感覚に襲われるでしょう。10秒ほどしたら膝を離します。しかし、足の裏にはその感覚が残っているはずです。それを忘れずにいるのが初めの一歩です。忘れたら同じことを繰り返します。
正しくたくさん歩く
内側重心の感覚が分かったら、とにかくたくさん歩くのが大事です。その際は歩幅を大き目に開き、腕の振りも気持ち大きくします。そして、足の裏全体を着地させます。少し爪先側でもいいかもしれません。もし踵から接地してしまう場合は歩幅を開きすぎています。そこは個々に調整してください。歩行は全身のダイナミズムをくまなく使用する運動です。しっかりとした歩行は、全身、とりわけ体幹のストレッチにもなります。胸椎の回旋を意識して歩くのがポイントです。体幹の脊柱でほとんどの回旋運動を担うのは胸椎で、腰椎は構造上回旋できません。胸椎をしっかり回旋させないとその運動の負担を腰の筋肉に負わせることになります。長時間歩いて腰痛が出る人は胸椎をひねることができていないのが原因です。現代の私たちは、左右の手と足が互い違いに出る、相反歩行というものをしています。この歩き方は歩幅を大きくできる分、足を出している方の骨盤が大きく後ろに倒れこむので、反対側の腕を振り上げ上半身をひねることで安定性を確保しなければなりません。この上半身のひねりをしない場合、ダイナミズムや律動が感じられずかつ不安定な歩様、Star warsに出てくるC3POのような歩行になってしまいます。歩行の量と姿勢の良さは比例します。常に長時間歩いている人は必要に迫られて合理的な歩き方をするようになるからです。元軍人の方は年老いても背筋が伸びている方が多いのはそういう理由もあるでしょう。若い時に訓練で培った重心感覚がそうさせているのだろうと思います。フィリピンのルバング島で終戦後も30年間闘い続けていた小野田寛郎さんのお話を拝聴しにいったことがあります。もう晩年の頃と思いますが、壇上に登場した小野田さんの姿勢の良さにまず圧倒されたものです。
日本人は改めて歩き方を捉え返さなければならない
実は現代の日本人は歩くのが苦手です。これには文化的背景、日本人の精神性が絡んでいるのではないかと思っています。私たちが無意識に行っている「歩く」という基本的な行為に、文化とか精神とかの話をされると不思議な気持ちになるかもしれません。
しかし、日本人はある時を境に〝歩き方を変えられた歴史〟を持っています。小学生の頃、体育の時間に行進の練習をさせられたのを覚えている方も多いでしょう。これは明治時代に行われた日本人の身体の近代化政策の名残かもしれません。
武智歌舞伎などで知られる劇評家の武智鉄二氏は、農耕民族である日本人は、その労働に合った「ナンバ」という現代とは少し違った歩き方をしていたといいます。それは農作業の〝半身の構え〟が基本となっていると武智氏は指摘します。その歩行は、身体をひねらず、腕の振りも最小限です。当然歩幅も小さくなります。つま先から接地して主にその推進力を使うので、踵で地面を蹴り上げることもありません。摺り足に近いもので、武道や日舞の歩き方に近いともいえるでしょう。速度は出ませんが、体幹が安定し、体力のロスが少ないので長距離を走り続けることができるといいます。近年では坂道を登る時などに効率が良いということでトレイルランなどに取り入れている人も多いようです。この歩行は一般的には同側の手足が一緒に出るというイメージで捉えられています。確かに、江戸期までの絵画では現代人のように左右の手足が互い違いに出ている人物は登場しません。しかし、私は日常生活における歩行はやはり、現代の相反歩行と同じ体重移動をしていたのではないかと思っています。「ナンバ」はものを運搬したり、農作業をしたりなどの作業をする上での〝独特な歩行方法〟だったのではないかと思います。実際、幕末期の訪日外国人の見聞録などを見ても当時の日本人の日常の歩行として、〝右手と右足を同時に前に出す〟といった歩行の特徴の記述は見られません。腕の振り自体がほとんどないので外見はそう見えなかったのではないかとも思われますが、そもそも歌舞伎の演者にしても舞台上の歩行は通常「逆ナンバ」、いわゆる現代人的相反歩行であったわけです。農村においては身についた労作向きの歩き方が日常まで及んでいたというのは否定できませんが、都市部、少なくとも江戸の町人の日常の歩行は私たちと同じような相反歩行であったのではないかと思います。ただし、やはり歩行の訓練をしなければならないほど、現在の私たちの歩き方とは違っていたのは事実です。それは衣装と履物の影響が大きかったであろうと思います。和装は歩幅を大きくとることが
できませんし、上半身をひねったり、大きく腕を振り上げるとすぐに着崩れを起こしてしまいますから、それらの動きは自然と抑制されます。履物についていえば、草履と洋靴の決定的な
違いは足の接地の場所です。靴は踵に近い場所なのに比べ草履は当然のことながらつま先になります。草履の方が裸足に近い接地になるのです。『徴兵須知』という明治20年代の徴兵新兵用の心得書がありますが、入営前の注意事項の初めに「日本人は靴に慣れていない為に少し歩いただけで足に豆ができてしまうので、郷里にいる時から靴で歩く練習をしておくように」といったことが書かれています。またこの心得書には、当時の日本人の姿勢について窺える箇所があります。「直立不動の姿勢」を取り続けることが「我日本人ニハ殊更に困難」であったというのです。軍隊における「不動の姿勢」とは膝と股関節を伸ばして立ち続けることです。今では当たり前の「気をつけ」の姿勢ですが、それも当時の日本人の日常にはなかったものなのです。
幕末訪日外国人の記述にも日本人の膝の裏が伸びていないことや、前傾姿勢で股関節が伸びていないこと、「内股で歩く」「小股で歩く」といった日本人の歩様に対する指摘があります。幕末訪日外国人では最も有名かもしれない親日家であるエドワード・モースは「リズムをとって歩く」「他の人に合わせて歩く」などが苦手であるという、日本人の歩行の〝律動感の無さ〟に気づきました。「男も女も子供も、歩調をそろえて歩くということを、決してしない」アメリカでは子供でも自然と歩調を合わせるのにと訝しがり、「日本人は歩くのに全然律動感がないのは特に目に付く」と書き残しています(E・S・モース著、石川欣一翻訳『日本その日その日(3)』東洋文庫、平凡社)。
この日本人の歩行の律動感の無さは、〝素早い動きが不得意〟ということにも繋がります。近代的な軍隊を整備する上で、まず最初に歩行の変容が図られたのは当然といえるでしょう。この歩行の変容は藩によっては幕末期まで遡ることができます。欧米列強に危機感を覚えた諸藩は洋式軍隊を作り始めており、そこではすでに西洋式の歩行が教練されていたのです。フランス式であったり、イギリス式であったり、オランダ式であったりと藩によって違いましたが、西洋式の歩行の徹底が最初に図られたのでした。一般庶民の間に西洋式の歩行が徐々に定着していくのは、明治時代の中頃以降です。近代国家を形成していく過程で、国民の「意識」とともに「身体」の近代化も国策として行われました。意識の変化として象徴的なのは「時制の一致」です。それまでは日の出や日没を目安にする農時という時間の中で人々は暮らしていたわけですが、南北に長い日本ではその時間にかなりの差が出てしまいます。千島列島の端っこも沖縄も、明るかろうと暗かろうと朝の5時は朝の5時なんですよという意識改革をしたのです。身体面では、体育教練として取り入れられた〝兵式体操〟が日本の一般庶民の歩行を変えたのでした。この点について、舞踏研究家の三浦雅士氏は「学校教育におけるこの徹底した身体管理のもとで、日本人の伝統的な身体所作は失われてゆくほかなかった」と語っています(三浦雅士『身体の零度』講談社選書メチエ)。その「意識と身体の近代化」を庶民にさらに浸透させたものとして「運動会」があります。今は少子化や社会の変化もあって一概にそうともいえませんが、私の子供の頃の小学校の運動会とは家族総出、一族総出で参加するものでした。それは一種のお祭りのような感覚で、子供の頃は当たり前だと思っていましたが、今思えば少し不思議な気もします。近所の〝子供がいないお爺さんやお婆さん〟も見に来てくれた記憶があるからです。私が住んでいたのは都市部でしたので、そういう方はたまにいた程度ですが、田舎の村落出身の方に聞くと、運動会とは
まさに集落総出の催事だったそうです。実はこれは国策として行われたものです。全国の尋常小学校で同じ日、同じ時間に行われ、地域の〝子供がいない大人〟も参加することが勧められました。村落では、やはり一種の祭りのような受け止められ方をしていたのです。運動会は〝近代化された身体のショーケース〟のようなものです。学校や工場や軍隊と関わることがなかった人々も、隊列を組んで律動的に行進する子や孫や甥、姪をはじめとする村の子供達を見て、近代的身体の所作とはどういうものかを知ったのでした。明治維新というものはまさしく〝御一新〟であって人々の意識や身体までが日々変えられていったのですが、やはり日本人の根底にある文化的な精神性は完全に変えられてはいないのです。思えば、日本とは不思議な国で、外来の文化や思想を巧みに受け入れますが、どこか「日本」としか思えないものを作り出します。平安に受け入れた律令制も仏教も儒教も、さらにそれに先んじて容れた漢字も全て「日本」にしてしまうのです。様々な技術において、その変容は素晴らしい成果をもたらしましたが、歩行だけはうまくいかなかったのではないかと、私は思っているのです。やはり、私たちの身体には一筋縄ではいかない、文化や伝統が染み付いている。奥ゆかしい日本人は、律動感を持って颯爽と歩くことに躊躇するのではないかと思います。しかし、それは歩様を〝中途半端〟なものにしてしまいます。下半身は西洋式の歩行をしていますが、上半身は和装の動きであり、下半身の安定を保つ上では小さすぎて律動感があまりないのです。現代の日本人のほとんどは和服で歩いても格好悪く、洋装で歩いても格好悪いといった状況になっています。武智氏も70年代のテレビCMでのミュージカル俳優の歩行の足さばきに「ナンバ」の残滓を見て、「身体に染み付いた民族の伝統というものは変わらないものだ」としみじみ感じ入っています。服装で所作を選べれば理想的ですが、なかなかそうもいきません。それならば、日常での歩行からまともに歩けるようにしなければならないでしょう。また、私たちの日常の服装は洋装です。そして草履でも草鞋でもなく、靴を履いているのが普通です。まずは理想的な西洋式の歩行というものを捉え返すことから始めなければなりません。しっかり上半身をひねり、足首を柔らかく保ち、腕を振って〝たくさん〟歩かなければならないのです。一点、付け加えるとすれば、本来なら、人間が歩行する上での理想は裸足です。しかし、現代人にとっては少々現実感がありませんので、そのかわり、足の裏でしっかりと地面の感覚を捉えられる、なるべく靴底の薄いシューズを選びましょう。クッション性能の高い、高機能なランニングシューズは百害あって一利なしです。その登場によってアスリートの故障が増えたという話があります。ランニングシューズの価格が〝高い〟ほどランナーの故障が増えるというのです。足の裏の感覚を失わせる高機能なスニーカーは、踵への衝撃を増大し、膝への負担を増やすという皮肉な結果を生みました。足首のプロネーション(内反)を防止する機能も逆に内反捻挫や足底筋膜炎を増加させます。率いるクロスカントリーチームを5度もNCAA(全米大学体育協会)主催大会制覇に導いた〝名伯楽〟であるスタンフォード大のヴィン・ラ
ナナは、〝怪我を防ぎながら理想的な脚力を得ることができる〟として裸足でのトレーニングを勧めています。レオナルド・ダビンチが言っているように、人間の足というものは「構造的な傑作」なのです。その機能を奪うような「高機能すぎるシューズ」はやめておきましょう。これはランニングだから弊害があるというわけではありません。歩行においても基本は変わらないのです。
足底板と正座と気功法
自分の動的な平衡がどうなっているのかを知るために、「足底板」は非常に有効なものです。この単純な斜めの板に乗るだけで、自分の体幹がどれだけ硬くなっているのかが分かります。抗重力筋である下腿三頭筋と腸腰筋、そして股関節の柔軟性を測るものであると同時にバランスの良いストレッチにもなります。体幹の柔軟性がかなり損なわれた状態では、ふくらはぎが張って直立することができません。これは体幹と股関節の柔軟性のなさを補完するためにふくらはぎに負担がかかっているからです。この足底板を難なく乗りこなすことができるようになったなら体幹の柔軟性が戻ってきているということです。電気も使わず、場所もとらずに行える鍛練です。そして1日に1度は正座をして膝関節の完全屈曲をさせる必要があります。そしてさらにそこから股関節の屈曲、つまり土下座の格好が難なく行えるかもチェックしましょう。現代の椅子の生活では太ももの筋肉、大腿四頭筋をストレッチする機会がほとんどありません。外側重心だとふくらはぎの運動が行われないために、どうしても太ももの筋肉で歩いてしまうことになります。さらに太もものストレッチをしない生活では、太ももの筋肉が拘縮してしまい本来のパフォーマンスを発揮できなくなります。太ももの筋肉の拘縮は膝の皿の骨(膝蓋骨)の動きが制限されるので膝の痛みの原因となることがあります。膝の痛みは大腿四頭筋の筋力低下が原因だといわれて筋トレを勧められる場合がありますが、これが本末転倒になっている場合も多くあります。実は太ももの筋トレはさらなる拘縮を呼び、関節の痛みを増悪させるのです。この場合、必要なのは筋肉の量ではなく、今ある筋肉のパフォーマンスを向上させることです。ここで求められるのは筋肉の強さではなく〝しなやかさ〟なのです。全身のしなやかさを取り戻すためには、気功法なども良いです。気功の基本である「易筋洗髄経 十二勢」は少林寺の寺僧の日常の作務を基にして作られたといわれています。「骨髄を洗って筋肉を易 か える」というこの気功は「内気功」と呼ばれ、今ある気を体内の隅々まで流すことを目的としています。この気功法は、身体の様々な関節をロッキングしつつ体幹を動かすという身体操法として絶妙なものです。丁寧に行うと全身の指の先の筋肉まで余すところなくストレッチができます。気功というとイメージに偏りがちですが、気とは身体の隅々までのしなやかさがなければ流れることはありません。これは気功でもヨガでも、そのほか全ての身体操法にいえることですが、伸ばすべきところはしっかりと伸ばした上で関節を動かさなければなりません。腕を上げて万歳の体操をいつもやっているという方もいらっしゃいますが、その場合、肘をしっかり伸ばした状態でなければあまり意味がありません。それでは万歳できないよ、とおっしゃる方もいますが、それがその人の現状なのです。肘をしっかりと伸ばした状態でどこまで上げられるかを毎日続けなければ、自分の状態の変化が分かりません。人間は生きている限り、きちんとした操法を行えば、今は半分までしかできなくとも、いずれ完全に万歳ができるようになります。気功にしてもヨガにしても、その場の快楽はともかく、〝身体を変革させることで精神を変革させる〟ための修行であり、鍛練なのです。観念や精神に偏りすぎない、身体構造を捉えたメンターについて行わなければ意味がない場合も多いのです。現代において骨格構造というものを整えることは日常的に行われなければならないと思いま
す。素朴であるからこそ軽視されがちですが、〝素朴であるからこそ最も重要なこと〟なのです。こんなことを思い出しました。アメリカの整形外科学会が1993年にあるガイドラインを発表しました。これは軽度の「OA(変形性膝関節症)」に対しては今後「ヒアルロン酸の注入を推奨しない」というものです。薬剤で単に炎症を止めるだけでは、結果的に関節の変形の
悪化に繋がるからです。BMI25パーセントを超える患者に対しては5パーセントの減量をかかりつけ医、専門医が連携して達成するのが最も効果があるとのことです。要は〝体重を減ら
せ〟ということです。「何をいまさら」。これが大方の皆さんの気持ちではないでしょうか。こんなことが20世紀の終わりに発表されたのです。これって素朴な動物の常識ではないでしょう
か。構造に対する現代医療の軽視の象徴的な話です。プラグマティックなアメリカでもこのような感じですから、日本では何をか言わんやということになります。
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